人喰い竜と生け贄の乙女

 

 本来なら竜のお腹の中に呑み込まれているはずのわたしが、何を間違ったのか、今現在謎の美青年に洞窟内に囚われている。どちらがいいかと問われれば、生きているだけ後者がましなのかもしれない。
「昨日はよく眠れた?」
 わたしをここに捕らえている当の本人は、朝から爽やかな顔をして、朝食を運んできた。
 さすがにラルスが二年間住んでいたとあって、洞窟内は人間が住みやすいように作られてはいたが、彼は何もかもに慣れていた。わたしの寝床を用意して、顔はここで洗うのだとか、水は洞窟奥に泉があるからそこで汲むのだとか、懇切丁寧に教えてくれた。
 リネアのドレスを着たままのわたしに、女物の衣服を与えてもくれた。どうしてこんなものがここにあるのかと問うと、過去の生け贄の少女が着ていたものだと言う。正直、袖を通すのを遠慮したい心持ちだったのだが、ひらひらとした動きにくいドレスを着たままなのに耐えきれず、結局わたしはその衣服に黙祷を捧げてから着ることにした。
 運ばれてきた朝食をまじまじと見つめる。いい匂いのする温かなスープだった。
「毒なんて入ってないよ」
「いや、そうじゃなくて……あなたが作ったの?」
「そうだよ。街の人が毎日何かしら持ってきてくれるから」
 そういえば、洞窟内には簡単な調理場があった。彼が住むようになってから設えたのだろうか。
 そしてここに来て、わたしは街の人々からの供物の回収方法を知った。洞窟側から細工がされていて、こちら側から縄を引っ張ると、供え物を置く岩場が斜めになり、洞窟内に転がり込む仕組みになっていた。祠から出ずとも回収が可能なのだ。
「アレニウス様の分も作っていたの?」
「いいや。竜は人間の作ったものを食べたりなんかしないよ」
「そうなの? でも供え物はきちんと回収されていたみたいだけど……。じゃあ、何を食べていたの?」
「人間だよ」
「……」
 その一言で、一気に食欲がなくなった。でも、確かにそうなのだ。だからこそ、竜は生け贄を要求していたのだから。
「じゃあ、どうしてあなたは食べなかったの?」
「男は不味いんだって。竜はうら若い乙女が好きみたいだからね」
「それも美人の、でしょ。でもリネアを選ぶなんてひどいわ。わたしは毎日一生懸命お願いしたのに。……ああ、でもそのせいで、竜の怒りを買ったのよね……。あなたは知っているんでしょう? わたしのせいで、リネアが竜に選ばれたって」
「竜が生け贄に選ぶのには基準がある。君のせいではあるけれど、君に責任はない。いや、むしろ君の責任感の強さが仇になったというか……」
「何の話?」
「ああ、なんでもないよ」
 囚われたといっても、手枷も足枷もなくわたしは自由だった。何かを強要されるわけでもない。ただ、逃げようとしたのならその限りではないとだけはきっちり忠告を受けた。
 わたしはじっとラルスの顔を見つめた。
 彼の目的はわからない。けれど、時折見せるその表情がどこか寂しげであるように見えるのだった。

 洞窟での生活は単調だが不便はなかった。ラルスと会話をする以外にすることもなかったが、彼は面倒がらずに付き合ってくれた。彼はここに来るまでの生活を語ってくれたが、ここに来てからの生活はあまり語りたがらなかった。竜との同居生活にあまり良い思い出がないのかもしれない。
 そうして、どうして竜がいなくなった今、街へ戻ろうとしないのか、わたしをここから返したくない理由などは決して教えてくれないのだった。
 わたしも何が何でも帰らなければ! という気持ちもわかず、洞窟での生活を──ラルスとの会話を楽しむようになっていた。
 生活に不便はなかったが、ラルスがどうしてもわたしを入れてくれない場所があった。洞窟は複雑で広かった。竜がいる入り口の広間から最も遠い場所にある、どこかに続いているらしい道から先へは決して行ってはいけないと釘を刺された。
 そんなことを言われてしまうと、気になってしょうがなくなるというものだが、わたしは好奇心をぐっと堪えた。彼はおそらく意地悪で言っているのではないのだろう。それがわかったから、おとなしくその言葉に従おうと思ったのだ。
 わたしが生け贄としてここに来てから数日は静かなものだった。街の人々も、人が死んだであろう場所に恐れをなして近づこうとしなかったのだ。けれどしばらくすると、そんな街の人たちの足も戻ってきた。
 外に出られないわたしがそのことに気付けたのは、この洞窟の特殊なつくりのせいだったのだ。

「アレニウス様、ディーサ・ヘンリクソンです。いつもディンケラをお守りいただき、ありがとうございます。街の者の中には、生け贄を出すことを快く思っていない者もいます。けれど、あなたが長年この街を守ってくださったこと、わたしは感謝しています。どうかこれからも、ディンケラをお守りください──」
 突然洞窟内に聞こえてきた声に、わたしは心底驚いた。辺りを見回しそこに誰もいないことを確認する。
「何? 何なの?」
 あわあわとするわたしに対し、ラルスは平然とした様子で椅子に座り、お茶を飲んでいた。
「祠に来た人の声だよ。願い事を言って帰っていくっていう」
「でも、祠とここは結構離れていたでしょう?」
 洞窟内は広い。今わたしとラルスがいるのは、竜がいた入り口付近より奥まった場所にあり、ラルスが住みやすいようにと手作りの机やら椅子やらを運び込んだ居間のような場所だった。
「祠の前で発せられた声が洞窟内に届くようになってるんだ。竜だって願いそのものを聞かなきゃ叶えようがないだろう?」
「そう、かもしれないけど……」
 でも竜ならそんな風に聞き耳をたてずとも、不思議な力で願いを感じて叶えてくれるのだとなんとなく思っていたわたしは、どことなく残念な心地がしたのだった。
「まあ、そういうことだから。時々声が聞こえてくるけど、気にしないで。すぐに慣れるよ」
 それを当たり前のように受け流しているラルスはのんびりとお茶を飲みながら、手元の冊子に何かを書き付けていた。紙やペンまでここには揃っている。彼曰く「供え物にあったから使っている」のだそうだ。そして大切な日記だから見ないように、と言われた。竜に捕らえられていたというのに、日記をつけるそんな余裕がある彼の精神状態が理解できない。
「慣れるって……そもそも、わたしは一体いつまでここにいればいいの?」
「うーん、考え中。気に入ったなら、別にいつまででもいてくれていいけど」
「あのね! 意外と居心地は悪くないけど、一生いるなんて嫌よ。あなただってずっといる気はないんでしょう?」
 こんなところで隠者生活を送りたい若者がいるものか。そう思ってわたしは言ったのに、彼は真面目な顔をしてこちらを見つめてきた。
「僕はここを離れるつもりはないよ。君が望むならいつかは返してあげたいとは思うけど、今はだめだ。頼むから、僕の邪魔だけはしないでくれ」
 わたしは言葉に詰まった。ラルスは悪人ではない。けれど、彼の目的がわからない以上、わたしが彼を心から信用することは出来なかった。

「賢竜アレニウス様、モニカ・オールソンです。先日息子の病気の具合が良くなるようにとお願いに来ましたが、おかげさまで今はすっかりよくなりました。本当にありがとうございます。大した物ではありませんが、お礼を置いていきますね」
 ラルスの言ったとおり、三日もすればこの洞窟内に突如としてこだまするこの声に慣れ始めている自分がいた。
「モニカさんとこの息子さん、良くなったんだ」
 彼女の話によると、祠のそばで息子さんの病気に効く薬草が手に入ったのだそうだ。それが竜の力なのか、奇跡のような偶然なのかはわたしにはよくわからない。けれど、モニカさんが嬉しそうな様子なのはわたしにとっての喜びでもあった。
 わたしは姿の見えない街の人の様子をこうして知ることができ、ささやかな幸せを感じた。時には、心に秘めた秘密の告白を聞かされることもあるが、とにかくみんな元気だということがわかった。
 そうなのだ。わたしがいなくなろうと、いつも通りの日常が続く。でも、それでいいのだと思った。リネアもヴィルヘルムさんと共にディンケラを抜け出し、今頃、彼の故郷で幸せになっているに違いないのだから。
「嬉しそうだね」
 へらへらとしている様を見られてしまったらしく、ラルスはわたしを見つめてはそんなことを言ってきた。
「街の人が喜んでいたら嬉しいわよ。でも、もう竜はいない。願いを叶えてくれる存在はもういないのよね……」
「まあそうだね。でも、願いは口に出した瞬間から力を持つんだよ。だからきっと無駄ではないんだ」
 なんだかよくわからないことを言う。けれど、不思議とその言葉が胸にすとんと落ちた。
 その言葉に救われたのはわたしだ。わたしが願いを口にしたことは、きっと間違っていなかった。

 わたしは街の人々の声が聞こえると、それが喜びの声ならますます嬉しかったのだけど、それはラルスも同じようだった。あるとき見てしまった彼の表情は、全てを見守り慈しむような穏やかさで溢れていたのだ。
 彼の穏やかな表情はその他の場面でも現れた。洞窟の入り口にある竜の遺骸を、彼は埃や砂にまみれないように、こまめに拭いていたのだった。
「どうしてわざわざ身体を拭いたりなんてするの?」
 わたしが問いかけると、彼は当然のように言い放った。
「誰かが間違って侵入してきてしまった時にも、竜は防波堤でなければならない。君は初めて竜を見たときどう思った?」
「口を大きく開いていたから……食べられると思ったわ」
 彼は大きく頷いた。
「心ない侵入者が入ってきた時に、入り口で追い返せるように、竜にはここにいてもらわなければならないんだ」
 その時、ラルスはただ竜を見せかけの番犬代わりにしているだけなのだとわたしは思った。けれど、彼はアレニウス様の身体をとても大切なもののように扱い、隅々まで綺麗にしていた。そんな雑用、わたしにやらせればいいと思うのに、わたしには決して触らせようとしなかった。
 それに――。ふとした時に見た、竜の体躯を磨き上げる彼の横顔は、大切なものを見つめるような、そんな優しさに満ちているようだった。

「あら、この野いちご腐りかけてる……」
 祠に捧げられた供物を回収してはラルスに渡す役目まで手に入れたわたしは、今日の昼に届けられた野いちごを見て、不平の声を漏らした。
「もう、わたしのあとは誰が果物を届けてるのかしら。わたしなら、こんな傷んだものを捧げたりしないわ」
 かつて自分の役目だった祠まで果物を届ける役目を引き継いだ誰かに腹を立てながら、わたしはぶつぶつ言いながらもラルスの元までそれらを届けた。
「そんなに野いちご食べたかったの?」
「野いちごは好きだけど……って、そうじゃなくて。供え物を捧げる気持ちの何たるかをわかっていないから怒ってるのよ!」
 わたしと野いちごを面白そうに見比べながらも、ラルスは特に気にした様子もない。
「暖かくなってきたんだし、傷みもするよ。街の人たちは、これを本当に食べる誰かがいるだなんて、思ってもいないんだろうし」
「そうかもしれないけど……」
 確かに、わたしだってアレニウス様が実際口にしているかどうかなんてあまり考えたことがなかったけれど。でも供え物っていうのは何よりも気持ちが大事だと思うのだ。
「カリナって面白いね」
 突然そんなことを言い出したラルスをわたしはまじまじと見つめ返した。
「わたしからすれば、あなたの方がよっぽど変わってるわ。こんなところに留まってる時点で極めつけよ」
「まあ、誉め言葉と受け取っておくよ」
 彼はにやりと笑うと、腐ってしまった野いちごを手に通路の奧へと消えていった。

 洞窟内はやはり居心地が良い。ラルスが二年間も住み続けられたのも道理で、わたしはもはや自力で脱出しようなどという気を捨ててしまっていた。
 明かりが入ってこないので、時間の感覚がないが、ラルスは正確に時間を把握しているようだった。
 外は野いちごが腐るような陽気だというのに、ここはひんやりとしていて気持ちがいい。だからといって寒いこともなく、快適な温度を保っていた。
 そういえば。
 わたしは今更のように疑問を抱いた。
 竜の遺体は腐らないんだろうか。既に死後二週間は経っている。ここが涼しいから腐らないんだろうか。それにしたって生き物が死ねばそれに伴う腐臭があってもよいはずだ。それなのに、アレニウス様にはそんなものが一切なかった。それどころか、定期的にラルスが綺麗にしているおかげで、未だに死んでいるとは思えないくらいなのだ。
 一度疑問に思ってしまうと落ち着かなくて、わたしは、ラルスが見ていない隙に、そっと竜の遺体に近づいてみた。
 赤い鱗は炎のようだというのに、触れるとひんやりと冷たかった。ごつごつとしているのかと思っていたけれど、意外にそれは滑らかな手触りだった。
 本当に、死んでいると言われなければ今にも動き出しそうな迫力を未だに備えている。だって、何より金色の瞳に迫力があって――あれ?
 わたしはまじまじと竜の瞳を見つめた。高い位置にあるし、何より見つめ続けると動き出しそうな気さえして、今までまともに見たことがなかったのだが、今こうやってじっくり見ていると――。
「ガラス玉みたい……」
 白目の部分が横から見ると、透明で空虚なのだ。けれど、本当によく観察しないとわからない。
 わたしは気になって、全身のあちこちも調べてみることにした。
 本当によく見なければわからないが、竜のあちこちには継ぎ目があった。怪我をしてそこを縫ったとでもいうような跡が。でも、竜が怪我をしたとして、それを縫ったり、縫わせたりするだろうか――。いや、それより。
 竜の尻尾の目立たない部分の継ぎ目をわたしは綻ばせた。強靱な筋肉と血液が詰まっているはずのそこから、代わりのように布と土が出てきた。
 ガラス玉の目と布と土で出来た身体。腐らないのは道理であるが、竜がわたしが来る直前に死んだというのは、どう考えてもラルスの嘘だ。
 竜がいるということがそもそも嘘なのだろうか? けれど、この竜が未だ持つ迫力は本物だ。ラルスは一体何のためにここにいるのだろう。
 竜の秘密を問う前に、まずはそこを知る必要があると思った。

「はい、今朝野いちごが届いてたよ。カリナ食べたかったんだろう? 全部食べていいよ」
 わたしがラルスに対して疑念とも不審とも言える感情を抱いていても、彼の方は変わりなく接してくれた。
「ありがとう。いつ届いていたの? 全然気付かなかったわ」
「早朝じゃないかな。良かったね、今度は新鮮なのが食べれて」
 朝食と一緒に差し出された野いちごは、摘み立てのようにみずみずしかった。昨日までの自分なら、ありがとうと言って、喜んでそれを口に放り込んでいただろうが、彼への疑念を持ってしまったわたしは、むしろその行動が不自然に思えるのだった。
 供え物の回収はわたしに任されているというのに、なぜ彼はわざわざ今日に限って、しかも朝一番にそれを行ったのか。
「……そんなに、嬉しくなかった?」
 彼の落胆したような声に顔を上げれば、紫水晶のような澄んだ眼差しに出会う。
 彼の瞳を見れば、そこに人を陥れてやろうなどという感情があるとは思えない。ただ、喜ぶと思っていたわたしが、大した反応も見せなかったので気を落としているように見えた。
「そ、そんなことないわ。嬉しいに決まってる」
 わたしは慌ててそう言い繕うと、野いちごを口に運んで見せた。甘さと酸味が口いっぱいに広がる。
「……心配しないで。そう遠くない内に、君を帰してあげるから。そうすれば、いくらだって野いちごを食べれるようになるから」
 彼は穏やかな口調で、それでもどこか寂しそうにわたしに告げた。

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