人喰い竜と生け贄の乙女

 

 彼が何を考えているのか知らないが、とにかくわたしはそのことを自分で突き止める必要があった。わたしを返してくれるとは言っているが、竜の秘密を知った以上もそうなのかはわからない。黙って解放の時を待つことも選択肢の一つではあったが、ラルスの目的が何なのかわからない以上、やはり彼を心から信頼することは出来なかった。
 ラルスがわたしに入ってはいけないと言ったあの場所。洞窟の一番奥まった場所に行く必要があると思った。
 わたしはラルスに就寝の挨拶を交わした後、時間の感覚がいまいちなわたしにとってのおそらく真夜中にそこを調べることにした。
 幸いにも奧に続く道に扉こそあったが鍵などはかかっていなかった。わたしを信頼しているのかもしれないと思うと、少し胸が痛んだ。
 暗がりの中、明かりを持たずに進む。目は意外にもこの暗闇になれていた。手探りで壁づたいに進んでいくと、やがて道は階段に差しかかった。洞窟内の岩石を切り取ったようなその階段はかなり高い場所まで続いていた。やがて、ほのかな明かりが見えた。全ての階段を登りきると、わたしはその明かりの正体を知った。
「月明かり……」
 ひんやりとした風がわたしの髪を揺らす。
 地上に出られたのだ。
 あの通路は外へと繋がっていたのだ。わたしは月明かりの下、辺りの様子を観察した。
 竜の祠の真上であるこの場所に町の人がくるはずもない。竜のいる祠を上から土足で踏んづけるなどということを出来る者などいないのだ。だとすればこの出口が街の人にみつからないのもわかる。
 けれど、やはり生まれるのは新たな疑問。ラルスはここに閉じこめられているわけではない。出入りは自由なのだから、逃げ出すことが出来ずにここに留まっているわけではないのだ。
 そして彼が自由に出入りできるという事実を知って、わたしはぴんときた。
 あの野いちごは彼が自分で摘んできたに違いない。わたしが野いちごを食べたかったと思った彼が――。
 思わずぶんぶんと首を振る。
 彼はきっと純粋な好意でそうしてくれたのだろう。人目に付く危険まで冒して外に出て、街に戻れないわたしを少しでも喜ばせようとしてくれた。
 彼の気持ちがわからない。悪い人ではないというのに、真意を語ってくれるほどわたしは信用されていないということだ。
 どうしてだろう。そう考えると、とても胸が苦しかった。

 ラルスが地上に出られるということに気付いたわたしは他のことにもいろいろと思い当たった。
 先日祠の前でアレニウス様にお礼を言っていたモニカさん。息子さんの怪我がよくなったのは、祠のそばによく効く薬草が生えていたからだと感謝していた。わたしがリネアのことをお願いに来ていた帰り、ふと見慣れない植物を見かけたものだが、おそらくそれが薬草だったのだ。なぜわたしがそのことに気が付いたかと言えば、同じものが、秘密の通路の先に生えていたからだ。
 ラルスは博識で植物に詳しいと言っていた。だから、それが怪我に効く薬草だと知って、目に付くように祠のそばに植え替えたのだろう。
 わたしはそのことにほぼ確信を持っていたが、最後の決め手が欲しかった。
 だからついに、作戦を決行することにした。

 祠に人が来るのは、朝一番か昼過ぎが多かった。ラルスはたいていその時間を居間で過ごしていた。わたしも同じようにそこで椅子に座ってぼんやりしたり、ラルスと会話をしたりしていた。
 祠にお願いにやってきた少年の声が聞こえなくなったところを見計らって、わたしはラルスに声を掛けた。
「ねえ、お茶が飲みたい。この前淹れてくれたあの香草のお茶」
「棚の左から二番目に置いてあるから勝手に飲んでいいよ」
「ラルスに淹れて欲しいの。この前のすごく美味しかったもの。ねえ、お願い!」
 わたしがしつこく食い下がると、彼はやれやれといった様子で椅子から立ち上がった。
「君は囚われているという事実を忘れてるんじゃない?」
 捕らえている張本人を使役するわたしを見つめながらも、彼はそれほど嫌そうでもなくお茶の用意をするために台所へ向かった。
「ありがとう。ラルスってとっても素敵だわ」
 手を振りながら、台所に消えるラルスを見送ると、わたしは彼が机に残したものに素早く目を遣った。
 見てはだめだと忠告された彼の日記だというものだ。わたしが読まないと信じているのか、うっかりしたのか、無防備な状態でそこに置かれている。
 わたしは念のためもう一度台所に目を遣った。お湯を沸かして、茶葉を蒸らす間があれば充分に思えた。
 とっくに覚悟は出来ていた。生まれた違和感を目の前のもので解決できるのだと信じて。
 二年間の重みを感じさせる冊子は、それでも丁寧に扱われているからか傷みは少なかった。ゆっくりとページを開いていく。わたしはその内容に驚き、慌ててどんどんとページを繰っていった。
 この紙の束は彼の日記などではなかった。おそらく彼がここに来てからの期間、祠に来た人々の願いが丁寧に書かれていた。調べてみればわたしのものもあった。最後のお願いをした箇所に、丸がつけられていた。だから、リネアが生け贄になった……?
 わたしは今度はモニカさんの願いの箇所を探し当てた。その下に、薬草を祠のそばに植えたという記述がなされているのを見つけた。
 ──やはり彼の仕業だったのだ。
 そして、モニカさんがお願いに来たのは、わたしが生け贄になる前。やはり竜はその頃には既に生きてはいなかったのだ。
 このことで、ラルスが祠に来た人々の願いを叶えようとしていることはわかった。けれどやはりその目的まではわからない。
 ただ、わたしにわかることは、彼が何らかの強い意志でもって、このことを為していることだけだった。

 二人分のお茶を手に戻ってきたラルスを神妙な顔で出迎える。わたしのその様子がいつもと違うと彼も気付いたようだった。
「どうかしたの?」
「わたしは本来、自分でも呆れるような馬鹿正直な人間だと思うわ。……まあ、人に裏切られたことで、多少ひねくれた性格になっていたりもするけど。……でもね、だからこそ、何の見返りもなく、世のため人のためになるように動く人がいるって信じてもいるのよ」
「自己分析はじめちゃってどうしたの」
 ラルスはいつもと変わりない。でも、もうわたしは知ってしまったのだ。
「わたしがここに来たのは、もちろんリネアに幸せになってもらいたかったって気持ちからよ。でも、半分は罪悪感でもあるの。誰かが自分のせいで不幸になるなんて……嫌だもの」
「じゃあ、君がここに来たことで、僕は君を不幸にしてしまったのかもしれないね」
 罪を背負うことを全く恐れていない瞳が、ただ静かにこちらを見つめていた。
「違うわ。わたしじゃなくて、あなたが困っている……そうなんでしょう? ねえ、ラルス。わたしなんて信用できないかもしれない。けど、わたしは絶対にあなたの邪魔なんてしない。だから教えて欲しいの。あなたが竜の代わりに街の人の願いを叶えようとしている理由を」
 わたしが手にした冊子を掲げると、彼は全てを察したようだった。
 問いかけに、ラルスは目を伏せると寂しそうに微笑む。
「……僕が叶えているんじゃないよ。竜が叶えてくれているんだ」
「そんなはずない! だって、モニカさんの……」
 言いかけたわたしに、彼はついてくるように身振りで示すと、竜が時を止めている広間へと歩いていった。
「確かにそうだ。僕がやっていることでもある。でも、それは全部アレニウスが願ったからなんだ。僕はそれを引き継いでいるだけさ」

 ラルスはそれから淡々と事の次第を語った。動かない竜の鱗を撫でながら、時に問いかけるように亡骸を見つめた。
 話はラルスが生け贄の身代わりとなって祠に向かった二年前に遡る。彼はその日、竜と初めて対面した。やってきたラルスに向かい、竜は怒りに満ちた眼差しで彼を睨みつけた。けれど、ラルスも負けていなかった。賢竜と名高いアレニウスが生け贄など取っていることに彼は憤っていたのだ。
 アレニウスはラルスを食べると脅し、祠からつまみだそうとしたが、生け贄をやめるよう説得しに来たのが自分の役目だとラルスも引かなかった。仕方なく、殺されもせず洞窟に留め置かれたラルスだったが、アレニウスは構わず、はじめの身代わりの少女を生け贄として差し出すよう街の人に再度要求した。ラルスがそのことをなじっても、竜は素知らぬ顔を決め込んだ。そして彼女が祠にやってくると、アレニウスは少女を喰らうどころか、なんと逃がしてしまった。驚いたラルスに、竜は淡々と語った。真実を知ってしまったからには、ラルスを逃がすわけにはいかない。ただ、アレニウスにラルスを殺すつもりはないのだと。昔、ある人と交わした約束のため、アレニウスは二度と人間を食べないと誓ったのだ。
 ラルスはそのことに感銘を受けた。そして竜の手伝いをするようになった。まずは自分が生きられるように、住める場所を調えた。アレニウスは噂通りの賢竜であり、ラルスが住めるよう、助言をしてくれた。洞窟内に声が届くような仕組みを考えたのもアレニウスなのだという。竜は人間よりも何倍も耳がいいので、それはラルスのために作った装置だった。
 そうしてアレニウスとラルスは竜と人でありながら、お互いに強い絆で結ばれていた。しかしそんな日は長くは続かなかった。
 アレニウスに死期が近づいたのだ。
 人を食べなくなった彼は生命力が衰えていたらしい。ラルスが気付いた時にはもう、アレニウスは動けなくなっていた。自分を食べれば少しぐらい寿命が延びるのではというラルスの意見をアレニウスはきっぱりと拒絶した。決して二度と人は食べない。大切な人との約束だから──と。そうしてアレニウスは眠るように亡くなった。
 彼は亡くなる前にラルスに大いなる知識を授けていた。アレニウスはラルスが彼の遺志を引き継ぐであろうことを予想していたのだ。
 そうしてラルスは竜の剥製作りを成し遂げた。鱗を剥ぎ、骨格を取り出し、肉を焼き、鱗の内側に布や土を詰めて竜が生きているかのように見せかける。その過酷な作業に半年は費やしたそうだ。
 それが一年ほど前の出来事。
「……無理にでも僕を食べさせるんだった。ここに来た時点で覚悟は出来ていたんだ。彼のためになるのなら、命など惜しくなかった……。僕が殺したんだよ」
 わたしはどこに驚いていいのかすらわからなくなり、彼の強い想いに心を打たれ、ただ話に聞き入っていた。けれど、大切な人を助けたい気持ちだけはわたしにも痛いくらいわかった。
「そんなことないわ! 自分が助かるために、大切な人を犠牲にしたくない……アレニウス様にとって、約束はもちろんだけど、あなたのことがとても大切だったのよ」
「……ありがとう。愛を知った竜は優しすぎるんだ」
「……愛?」
「竜だって人に恋することがあるんだよ」
「え!? でも、じゃあ、その大切な約束の相手って……」
「そう、彼が恋した女性だ。彼女はアレニウスを慕って毎日祠に祈りと感謝の言葉を捧げていた。アレニウスは彼女に会いたい一心で、生け贄として祠に呼んだ。食べるつもりなんてなかった。ただ、一緒にいてほしかっただけだった……。彼女はアレニウスを恐れなかった。そうして彼女を食べないと彼が告げると、もう二度と人間を食べないでと悪気もなく言ったんだ。けれど、アレニウスはその約束を──ずっと守っていたんだ」
 ラルスの瞳に哀惜の色が混じる。
「その人はどうなったの?」
「〈花蝶の舞〉で働いていた彼女は自由を夢見ていた。だからアレニウスは彼女を街から出した。――自由にしたんだ」
「そんな……」
「ずっと一緒にいられないとはわかっていたんだ。竜と人とでは生きる時間が違う。それからもアレニウスは生け贄を要求しては、少女を逃がしていた。みんな自由を求めていたから」
 それが、この祠と竜に隠された真実。
「じゃあ、リネアを要求したのも?」
「ああ、君が願ったから」
「それじゃあ、わたしが来てしまったから……」
「まあ、作戦失敗というわけさ」
 わたしはリネアの願いを叶えるどころか、むしろ邪魔なことをしてしまったようだった。
「で、でも大丈夫よ! リネアはもう街を出ているはずだもの。ヴィルヘルムさんと幸せになっているに違いないわ。わたしがそうするように言っておいたもの」
 何にしろ、わたしは無事で、リネアも幸せになれたのだ。それで良かった。
「君を帰してあげたいけど、街に戻るならいろいろ口実を考えないといけないから、もう少し待ってくれる?」
「ええ、わたしなら平気。わたしだってアレニウス様の秘密を守りたいもの!」
 彼の真意を知ってすっきりしたわたしは、上機嫌で微笑み返した。

 その日の夜だった。
 祠に街の人が来るのは日の明るい内と決まっている。誰も暗闇の中、人を喰らうという竜の祠に近づきたがらないからだ。
 けれど、その日は夜中に声が届いた。
「リネア、もう戻ろう。彼女が君のためを想ってしたことなんだ。君がそんな顔をしていたら、彼女だって悲しむ」
 若い男の人の声。聞き覚えのあるその声はヴィルヘルムさんのものに違いなかった。
「リネア……リネアがいるの?」
 わたしは一番初めに自分が入ってきた洞窟の入り口に向かって走った。
 相変わらずの急勾配で、ここを登ることは不可能だが、確かに地上に繋がっている。この静寂の中、大きな声を出せばリネアに届くかもしれない。
 思いっきり息を吸い込もうとしたわたしの口は背後から伸びてきた手に塞がれた。
 ラルスだった。抵抗しようとするわたしの耳元に、彼は囁く。
「彼女のことを思うなら大声を出さないでくれ」
 無我夢中だったわたしは急速に冷静さを取り戻す。おとなしく頷くと、彼も手を放してくれた。
「さあ、花を置いたらもう戻ろう。店を離れていると知れたら、君もただではすまないかもしれない」
 ヴィルヘルムさんの声が響き、そして静かになった。
 二人は〈花蝶の舞〉を抜け出し、ここに来てくれたのだ。おそらくは、死んだはずのわたしに花を捧げるために。
「リネアに知らせなきゃ。わたしは生きてるって」
 彼女の潤んだ瞳を想像しては、わたしはいてもたってもいられなくなった。
「うん、それも大事だけど……彼女、街を出てないね」
「本当だわ!! でも、どうして……わたしはもう一度生け贄の要求があった時のために、街を出るようにって言っておいたのに……」
 ラルスは厳しい顔で顎に手を当て中空を睨んでいる。
「モルテンはそう簡単に彼女たちを解放したりしない。……だからこそ、今までこの手段で彼女たちを逃がしてきたんだから」
「そっか……リネアが自由になるには、生け贄として竜に食べられたことにしなきゃいけないわけね」
「ああ、だからもう一度彼女を生け贄に要求しよう。早速……」
 アレニウス様の知恵により、竜の叫び声は簡単に作り出すことが出来るのだ。
 ラルスは実行しようとその装置がある場所へ向かおうとした。
「待って!」
 わたしは思わず叫んでいた。
「もちろんそれでリネアは助かるかもしれない……でも、それだとこれからも同じことの繰り返しになるわ。もっと根本的に解決できる方法はないのかしら……」
 リネアがいなくなっても、モルテンはまた新しい少女を雇うだろう。そうすればまた、恋も自由に出来ない少女が増えるだけだ。
 わたしの呟きに、ラルスは驚いたように目を瞬かせた。しかしすぐに真面目な顔で何事か考えたのち、挑戦的な笑顔を向けてきた。
「僕一人では無理だけど、君が手伝ってくれるなら……出来るかもしれない。どうする?」
「もちろん乗ったわ!」
 わたしは考えるよりも先に大きく頷き、差し出された彼の手を強く握った。

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