人喰い竜と生け贄の乙女

 

「モルテンさん、モルテンさんはいますか?」
 次の日の早朝、わたしは〈花蝶の舞〉に大声で駆け込んだ。店にいた人は皆、死んだはずのわたしが現れたことに心底驚いていた。質問攻めにさらされようが、わたしの主張はただ一つ――モルテンに会うことだった。
 ようやく出てきたモルテンは、睡眠を邪魔されたと思ったのか不機嫌そうな顔をしていた。
「モルテンさんにアレニウス様からの伝言があります」
「その前に、なぜお前が生きて戻ってきたのか問う必要がある」
 相変わらず反省の色も、わたしが生きていたことに安堵する様子も見せず、彼はただただ目の前のわたしの存在が不快極まりないようだった。
「では、面倒だから一緒に説明します。わたしは生け贄としてリネアの身代わりで祠に行きました。初めはリネアだとばれませんでした。そしてすぐに食べられることもありませんでした。でも、街の人はわたしがリネアの代わりに死んだと思っていたから、祠でわたしを偲んでくれていたのが竜にばれてしまったのです。竜は欺かれたと激怒しました。今すぐリネアをはじめ、〈花蝶の舞〉の少女を全員差し出せと、わたしに伝言を頼んだのです」
「なんだと!!」
 予想通り、モルテンは激高した。わたしは涼しい顔で応じる。
「竜の要求を断るのですか」
「そもそもお前が勝手に身代わりを申し出たからだろう! 私は言ったはずだ。死にに行くのは構わんが、竜の怒りを買うなと!」
「では、そのように竜に伝えればいいのですね。でも、今度は〈花蝶の舞〉の少女だけでなく、あなたにも火の粉が降りかかるかもしれませんよ」
 踵を返して去ろうとしたわたしの背中に、モルテンの声がかかる。
「待て! お前のような娘も喰らわない慈悲のある竜ならば、話せばわかるかもしれんのだな。お前とリネアを連れて行き、事情を話してわかってもらうのだ。あとで人を遣る。竜の元へ案内しろ」

 昼過ぎにわたしとリネア、そしてモルテンが寄越した屈強な男三人で岩山の祠に向かうこととなった。
 どう考えてもモルテンが話して理解してもらおうという気がないことは見え見えだ。ともすれば竜を懲らしめようとでも思っているようだった。
 リネアはわたしを偲んで祠に行ったことをひどく後悔していた。そのことで発覚したとモルテンに怒鳴られたのかもしれない。
 わたしは人目もあったので細かいことは話さず、ただ大丈夫なのだとリネアを勇気づけた。
 祠に着くと、わたしはまず竜への捧げものをいつもの場所に供えた。今から直接会いに行くのだから、そこで渡せばいいと男たちにも言われたが、こういうものは供える気持ちが大切なのだと説明した。
 それから洞窟の入り口に向かう。男たちもさすがに恐れていたのか、わたしの前に出て先に進もうという気はないようだった。リネアは顔を蒼白にして震えていた。無理もない。だがこの奥に生きた竜はいないのだなどと説明できるはずもない。
 わたしは黙ってリネアの手を握って奥へと進んだ。男の内一人は入り口で待機することとなった。全く用心深いことだ。
 小さな明かりを手に傾斜を降りて進んでいくと、すぐに竜のいる広間に着く。わたしは男たちに決して竜に口答えすることのないようにと念を押し、広間に入った。
 広間では賢竜アレニウスが鎮座している。金色の瞳はぎろりとわたしたちを見下ろし、やや開いた口からは鋭い牙が覗いている。その姿に圧倒された男たちは、一歩身を引き、わたしとリネアを盾にするように前に押し出し、申し開きをするように急かした。
「アレニウス様、あなたのおっしゃった通りにモルテンさんに伝えました。ただ、既に話したように、確かにわたしはリネア本人ではなく、リネアの身代わりになることをわたしが申し出たのです。モルテンさんはあなた様が偉大さと慈悲の心をもって、この事情を汲んでくださるのではとおっしゃっていました」
 わたしがそう告げると、竜は地の底から響くような唸り声を上げた。
 リネアが恐ろしさのあまり、わたしの腕に抱きついた。
「そこをなんとか……モルテンさんは、あなたが賢竜であると……きゃっ!」
 わたしが口上を続けていると、後ろから強い力で背中を押された。例の男たちがわたしたちを捧げることで何とか怒りを鎮めようとしているのだ。
 竜の鋭い爪が備わった足下へ転がるわたしとリネア。刹那、先程より大きな唸り声が響いた。そして次の瞬間、竜の口から炎が吹き出たのだ。男たちはなんとか直撃は免れたものの、その威力に恐れをなし、わたしたちなど放り出して、一目散に洞窟の入り口に向かって走っていった。おそらくは、待機していたもう一人が、縄を使って二人を救い出すことだろう。
 わたしは一つ息を吐き出した。やがて洞窟内に、「早く知らせに行くんだ!」と言う、男たちの声が響いた。祠の前を抜け、逃げ帰っている証拠だ。
「なんとか上手くいったみたいね。それより迫真の演技じゃない。いつ練習したの?」
 わたしは竜に語りかけた。リネアは不思議そうにわたしを見つめている。
 少しすると、竜の口の中からラルスが顔を見せた。口の中から這い出すと、彼は額に浮かんだ汗をぬぐった。
「実際にやるのは初めてだけど、これもアレニウスが教えてくれたことさ。彼はきっと、こんなことが起こりうることを予想していた……。でも、炎となる燃料がここにはなくて。カリナが持ってきてくれたから、実行できたんだよ」
 わたしも嬉しくなって微笑んだ。そうして何がなんだかよくわかっていないリネアに、全てを話して聞かせたのだった。

 リネアはわたしが語った話に驚き、しまいには涙した。その涙のいくらかは、きっとアレニウス様に捧げられるものだったに違いない。
「でも、このあとモルテンがどう出るかよね」
「大人しくなるとは到底思えないね」
 わたしとラルスは頭を付き合わせてこれからのことを相談した。
「アレニウス様は怒っている。何よりもモルテンに」
「〈花蝶の舞〉の少女から聞いて、アレニウスはどれだけモルテンが彼女たちにひどいことをしてきたか知っている」
 盛り上がるわたしたちに対して、リネアは遠慮がちに手を挙げた。
『それでも、あの人がいたから、わたしは生きていけたの……』
「リネア……」
 確かに少女たちに生きる場所を与えたのは彼に違いない。モルテンに雇われなければ満足に食事も出来なかった少女もいるはずだ。でも──。
「モルテンは確かに君たちを救ってもいる。でも、だからといって、君たちの未来まで奪うのは許されないことだ」
 ラルスの言葉にはっとなる。わたしの心の中のもやもやを代弁してくれたようだった。
 そうなのだ。確かに生きることは大切だ。でも、だからといって、自分の心まで殺して生きていいはずがない。そして幸福を得るその機会があるのなら……それを掴み取っていいはずだ。
「自由になるのよ、リネア。蝶は自由に舞うからこそ、美しいんだから」

 次の日の朝、ディンケラの街に竜の叫びが届いた。
 次に出した竜の要求はこうだ。
〈花蝶の舞〉の少女全員を生け贄に差し出すように──。

 夜になっても、モルテンは動かなかった。〈花蝶の舞〉は、いつもと変わらぬ賑わいを見せていた。しかし竜の怒りはここにも及んだ。明け方、〈花蝶の舞〉は炎に包まれた。
 火の手はあちこちから上がった。従業員の一人がいち早く気付いたため、客を含め、全員が無事だった。ただ、〈花蝶の舞〉はすぐに営業不可能なほど損傷していた。誰かが呟いた。竜の祟りだ、と──。
 夜が明けてからわたしはもう一度〈花蝶の舞〉を──モルテンの元を訪れた。
「竜はたいそうお怒りです。これでわかったでしょう? 竜の要求を拒絶することなど出来ないんです」
 長年大切に育て上げ、大きくした〈花蝶の舞〉が燃え落ちていく様を目の当たりにしたモルテンは、いくらか老けたように見え、生気を失っていた。それでもわたしの顔を見ると、怒りに燃えた目を向けてきた。
「全てはお前のせいだろう! なのになぜ、お前だけ生きている!?」
 わたしの胸ぐらを掴み上げると、彼は血走った目でわたしを睨みつけた。
「まだわからないんですか!! アレニウス様はあなたにお怒りなのですよ!」
 わたしも精一杯怒鳴り返す。これはもう演技ではない。わたしの心からの訴えだった。
「アレニウス様は知っているんです。今まで生け贄になったのは、多くの〈花蝶の舞〉の少女でした。アレニウス様は確かに彼女たちを喰らいました。でも、その前に彼女たちと話をしているんです。それで……知ったのです。〈花蝶の舞〉の少女たちに自由がないことを。アレニウス様に食べられて、彼女たちは初めて自由を得ました。死んでようやく解放されたのです……あなたから!」
 モルテンは言葉を失った。彼は気付いていないのだろうか。自分がどれたけ少女たちを束縛していたのか。
 蝶が囚われていたのは花の蜜のせいだけではない。固く断ち切ることの出来ない、蜘蛛の糸がそこに存在していたのだ。
「アレニウス様は今現在〈花蝶の舞〉にいる少女たちを死でもって解放しようとしています。全てはあなたの責任です。もう二度と、このようなことはなさらないように。あなたが全員を差し出すのなら、もう生け贄は要求しないともおっしゃっています。どうなさいますか?」
 どのくらいの時間が流れたのだろう。無限とも思えるような時間の後、モルテンはうなだれるように、ただ静かに頷いたのだった。

 恐怖に打ち震えるかと思っていた〈花蝶の舞〉の少女たちは、皆あっさりとしていた。店が燃え尽きてしまった今、覚悟は決めていたのだろう。そして皆死ぬ気でこの街にやってきたのだ。自由を得られないと知った今、むしろここまで生きられたことを晴れがましく思っているようだった。
 わたしは彼女たちを先導して祠へ向かった。総勢二十名ほどのその行列に暗さはなかった。
 わたしはまだ何も話してはいなかった。だから、彼女たちの強さに安堵するとともに心強く思った。きっと彼女たちならば、これから先も、どこででも強く生きていけるのだと。
 洞窟の中に案内すると、アレニウス様の前でリネアが手を振りみんなを出迎えた。驚く少女たち。そしてわたしとラルスは彼女たちに全てを説明した。
 喜ぶ者もいた。けれどやはり、これからの生活に不安を感じる者もいた。あの場所でしか生きることを知らなかった彼女たちが戸惑うのも無理はない。けれど、それでも自由は何よりもかけがえのないものだとわたしは思うのだ。
「リネアー!」
 唐突に洞窟内に響いた声に、皆が驚いた。
「賢竜アレニウスよ! どうか怒りをお鎮めください! 私の命なら捧げます。だからどうか、リネアを返してください!」
『ヴィルヘルム様……』
 リネアがその名を唇に乗せる。透明な雫が彼女の頬を伝っていた。
 ヴィルヘルムさんは故郷に帰ってなどいなかった。リネアを救うためなら命さえ惜しいと思わないほど、彼女を愛しているのだ。
「わたしが行ってくるわ。ヴィルヘルムさんをここに連れてくる。リネア、泣いてる場合じゃないわ。ようやく願いが叶うのよ。彼を笑顔で出迎えなくちゃ!」

 それからのわたしは忙しかった。想い人がいる〈花蝶の舞〉の少女たちに手紙を書いてもらい、それを届けた。けれど現実は厳しかった。命を引き替えにしてでも彼女を救いたいと思うなら、祠に来いという竜の要求に、応える男は少なかったのだ。でも、そのぐらい彼女たちを愛していなければ、きっとこの先やってはいけないのだ。モルテンに、街の人たちに、この事実を気付かれてはならないのだから。
 途方にくれる少女もいた。新しい生活を始めるのが不安だという彼女に、ラルスはしばらくここにいてもいいと提案したが、わたしは猛反対した。そして何とか彼女たちを説得し、近隣の街まで送り届けた頃には、モルテンも街から姿を消していた。
 彼が自分のしたことの重さを感じてくれればいい。彼は少女たちにとって、救世主ではあったけれど、彼女たちの未来を摘み取った許せない人物でもあった。ただ、わたしが祠に彼女たちを連れて行く前に、モルテンは一人一人に別れの挨拶を述べたのだという。
 彼にとって〈花蝶の舞〉の少女たちは大切な娘でもあったのかもしれない。

「ようやく終わったね」
 ラルスが漏らした呟きに、わたしも頷きを返す。アレニウス様のひんやりとした鱗に触れ、まどろんでいた時だった。
「それにしても、彼女たちを送り出す時の君の手際といったら素晴らしかったね。そんなにここに残って欲しくなかったの?」
「べ、別にそう言うわけじゃないわ。でも、アレニウス様だって、あんまり騒がしいより静かな方がいいんじゃないかと思って」
 わたしは焦って誤魔化した。だって、〈花蝶の舞〉の少女がここに残るなんて嫌すぎる。あんな美人で可愛らしい彼女たちがラルスと一緒にいることを考えただけで、わたしは落ちつかなくなるのだ。
「それより、あなたもこれで肩の荷が下りたんじゃない。あなたも自由になれるのね」
〈花蝶の舞〉の少女たちは自由になり、もう二度と生け贄を竜が要求することもない。ラルスの仕事は終わったのだ。
「いや、僕はずっとここに住むよ。ディンケラの人々を見守るのがアレニウスの願いだから」
「ずっと……?」
「うん、ずっと」
 わたしはなんだか寂しくなった。彼だけが幸せになれていない気がして。
「そんなかわいそうなものを見る目で見ないでくれないかな。僕は幸せだよ。友人の願いを叶えることが出来るんだ。君になら、その素晴らしさがわかるだろう? ……それに、アレニウスを独りには出来ないよ。彼の守ったものをこれからも守り続けていきたいから」
「わ、わたしも……時々来るわ。だっていろいろ不便でしょ。必要なものとか運ぶ人が必要だろうし」
「いや、大丈夫だよ。今までもやってこれたし」
「で、でも、また何かあったら……」
「もうモルテンもいないし、大丈夫だよ」
 彼はあっけからんとわたしの申し出を拒否した。わたしは泣きそうな顔になる。
「……それとも、他に何かここに来たい理由でも?」
 彼はどこか悪戯っぽい微笑みを閃かせた。
 ……悔しい。
「あなたに会いに来たいの! もっといっぱい話をしたいし、もっとあなたのことを知りたいの! これじゃ理由にならない?」
「うん、そういう理由なら、いつでも来ていいよ」
 爽やかすぎる笑顔が腹立たしいが、それでも心は弾んでいた。
 ラルスの手を握りしめると、彼も強く握り返してくれた。
 きっとアレニウス様は恋の成就の神様になったのだ。
 そんなことを考えながら、わたしは自由という名の空気を思いっきり吸い込んだ。

(完)

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