孤塔の姫君

 思いがけない姫君からの返答をいただいた私は、ますます仕事に精を出した。周りがどう思っていようが関係ない。今の私にとってロスヴィータ様にお仕えすることは何よりも誇りだったのだ。
 朝食の食器を下げ、お城の回廊を歩いているときだった。あれほど雲の上の存在だと思っていたラインヴァルト王子に私は呼び止められた。
「君だよね、なかなか辞めないロスヴィータの世話係ってのは」
「は、はい!」
 緊張のあまり声がうわずってしまった。あまりの眩しさにろくに目も合わせられない。
「ロスヴィータは元気にしてるかな?」
 ちょっと鼻にかかる甘い声にうっとりしている隙に質問を聞き逃すところだった。
「は、はい! お元気でいらっしゃると思います。その、直接お会いしたことはないのですが……お食事もきちんととってらっしゃいますし」
 言っている内に不安になった。だってやっぱり実際に会ったことはないのだから。食事も本当に姫君が残さず食べているのかは定かではない。けれどそんな不安要素を兄王子達に伝えるべきでないのは私にもわかる。
「だってさ、兄上」
 いつ現れたのか、ラインヴァルト様のすぐそばにはアンドレアス様もいらっしゃった。彼は深く頷くと私の方に視線を向けた。
「ありがとう」
 つくづく姫君の世話役を続けてきて良かったと思う瞬間だった。
「妹をよろしくね」
 ラインヴァルト様はそう言うと、兄王子と共に歩き去った。
 ロスヴィータ様は愛されているんだ──。なんだか私の方が嬉しくなって、次の手紙には兄王子二人が気にされていましたと書こうと心に決めたのだった。

 姫君は時折私に返事をくれた。けれど、どれも短いものだった。きっと喜んでもらえるだろうと思って書いた、兄王子二人が姫君を気遣っているという手紙には、残念ながら返事はなかった。きっと照れくさかったんだと私は一人で結論づけた。
 姫君が元気でいらっしゃるのかどうか、それは私にとって完璧な答のでない問いでもあった。手紙でも何度となく問うてみたのだが、不自由もなく元気に過ごせているという返答だった。けれど、食事にしてみても食器が全て磨かれて返ってくるので、きちんと食べているのか、食べずに捨てているのか判断はつかない。嫌いな食材だけ残っているとかあれば、なんとなく親近感がわくのに、どうにも姫君からは生活感というものが一切感じられないのだった。薄気味悪いとは思わない。だって花を愛でる心をもった姫君がその扉の奥に必ず存在していることを私は確信しているから。
 いけないことだと知りながら、私は一つの計画を練った。それは、姫君の息災を知るため──王子様達を安心させてあげたい気持ちから生まれたものだった
 
 いつものように昼食を続きの間に置き、朝食の食器を下げる。姫君は花が好きなので、今日も季節の花を一つ添えておく。食器を持って長い螺旋階段を下りていく。そこまではいつもと同じだった。けれど、今日は計画を実行すると決めていた。孤塔の入り口に朝食の食器を置くと、私は音を立てないように静かに階段をもう一度登っていった。続きの間に繋がる扉の前でそっと息を潜める。姫君は時間が来ると続きの間の扉の鍵をかけ、昼食を部屋の中へと運び入れるはずだ。
 姫君に会うのではない。ただ、無事でいらっしゃるのか、顔色はいいのか、それを確かめるだけだ。鍵穴からそっと覗くだけだ。そう自分に言い聞かせ、私は時がくるのを待っていた。
 何故姫君が人前に姿を現さなくなったのか、それは未だにわからない。城の人間に尋ねても皆答をはぐらかす。その話題は禁忌であるらしかった。だから、私にも会いたくないだろうから、その気持ちを配慮して、そっと覗き見ることを思いついたのだった。……ヘルガさんに知られたら大目玉だろうけど。
 遠くで時刻を知らせる鐘が鳴った。姫君が定めた刻限だ。続きの間への扉はもうすぐ固く閉ざされるはずだ。
 きい、ときしんだ音を立て、姫君の部屋の扉が開く。様子を確認しようと小さな鍵穴から中を覗き込む。人の足が見えた。ブーツをはいている。こちらには来ず、続きの間の机に置かれた昼食を運び入れるため、部屋の中央で足は止まった。少しずつ私も視線を上げていく。姫君の顔色を確かめないと。
 姫君の手は、なぜか包帯で覆われていた。その指が私の置いた花に伸ばされる。そっとつまむと匂いを確かめようとするのか顔のあたりに持ち上げ──そこで私は気付いた。姫君は──いや、姫君ではない誰かは手だけでなく顔全体も包帯に覆われていたのだ。
 喉から漏れそうになる悲鳴を必死にこらえる。違う。姫君なんかじゃない。背丈が明らかに大きい。指先から腕まで包帯で覆われているが、女性では有り得ない筋肉がついている。顔から首にかけても包帯で覆われ、かろうじて目だけがその隙間から覗いている。恐怖と闘いながらも、私は一部始終を目に焼き付けるつもりで鍵穴から見える光景を凝視していた。
 包帯とぼろをまとったその男は、検分するように昼食を確認するとそれを部屋に運び入れるためトレイごと持ち上げた。彼が部屋に入ってから、私も階段を降りよう──そう思ったときだった。何かに気付いたのか、後ろを向いていたはずの彼が振り返った。私が覗いている鍵穴の方に視線は向けられる──。
 私はそのとき何も考えられず、ただ一目散に走って階段を駆け下りた。荒い息づかいと足音が孤塔内部にこだました。孤塔を出てからも、少しでもここを離れようと朝食の食器を置き去りに全速力で走った。
 ようやく城まで着くと後ろを振り返った。追われてはいないようだったが、やはり気付かれたのだろうか……。あの人は姫君などではない。だとしたら本当の姫君はどこへ行ったのだろうか? 私は嫌な考えしか浮かばない自分の頭を殴りつけた。
 とにかく、明るい内に置き去りにした食器だけでも回収しよう。未だおさまらない胸の動悸を落ち着けるように、私は一つ息を吐き出した。
 
 姫君は囚われているのかもしれない──孤塔へ戻る道すがら、私は出来るだけ良い風に考えた結論を出した。だから、私の手紙にほとんど返事を返してくれなかったのだ。あの包帯男に囚われ、言うとおりにさせられているのかもしれない。
 姫君は誰にも姿を見せない。だからこそ、男の存在も知られずに済む。隠れ場所としてはこれ以上にない。あの男はどこかで大罪を犯し、追われている身なのだ。孤塔はじっとしていても食事を享受できる都合の良い場所ということだ。
 ならば、姫君を助け出さなければ。私一人では無理でも、城の人に言いいさえすれば……そこで私の思考は完全に止まった。
 気がつけば孤塔の近くまで来ていた。私が必ず通るその道中に、一匹の兎が横たわっていた。真っ白な毛皮をその瞳と同じ赤い色で染められた兎が。
「なんてむごいことを……」
 お腹を裂かれた兎は絶命していた。誰が、何故。
 私は孤塔を見上げた。全てが繋がった気がした。
 この兎は私なのだ。次はお前だとそう告げられているようだった。逃げ遅れていればきっと私もここで冷たくなっていたことだろう。
 私は兎を抱き上げた。せめて土に還してあげよう。
 兎を埋葬した後、食器を取りに孤塔へ戻る。いつにもましておどろおどろしい雰囲気を醸し出している塔の頂上を睨みつける。
 私には力であなたを倒すことはできなくても、他に出来ることがあるのだから。
 心に強い決意を秘め、私は塔を後にした。
 
「どういうことなのですか、アルマ」
 包帯男の存在を知ってから二日後、私は侍女頭のヘルガさんに呼び出された。
「丸一日、ロスヴィータ姫に食事を運んでいないというではありませんか」
 私の考えた、包帯男餓死作戦は、たった二日で潰えることとなった。食事を運ばないでいればいいと思っていたのに。誰にもばれないと思っていたのに。
「あなたは熱心に仕事をしていてくれていたようだからと安心していたというのに……」
「どうしてわかったんですか? 誰も孤塔には近づかないというのに」
「あなたのように職務を怠る人間はいますから。わかるようになっているんです」
 私以外に孤塔に近づく人間がいるのなら、私が必死で逃げているところを見たのなら助けるなり、どうしたのかと問うなりしてくれたらいいのに。
「お言葉ですがヘルガさん。あそこには、恐ろしい凶悪犯がいるのです。ですから私はその男を餓死させようと……」
 私の言葉を聞くなり、ヘルガさんは憐れんだ視線とため息で応えた。
「アルマ、あなたは今までよくやってくれました。だから止めません。辞めたいのならはっきりと言いなさい。そんな下手な嘘をつく必要はありません」

 私は二日ぶりに孤塔へ戻ってきた。ヘルガさんにあそこまで言われたが、だからといって辞める気にはなれなかった。誰も信じてくれないのだ。だったらいっそ私が包帯男に殺されれば、きっと何かあるのだと信じてくれるだろう。もちろん死にたくなんてない。けれどそうでもしなくては信じてもらえないというのなら私は死ぬ気で、まだ無事なのかすらわからない姫君を助け出そうと考えていた。
 食堂から無断で借りてきたナイフと鍋の蓋で武装すると、私は孤塔の螺旋階段を死へと続く道のりなのではないかという心持ちで登っていった。食事を運ぶのをやめた私の行動で、私がこの孤塔に隠された秘密を知ったと相手に充分伝わったことだろう。食事を運ぶのがまた私だと知れれば向こうもそれなりに対処してくるはずだ。
 いつものように続きの間に食事を置く。しかしそのまま私はそこを動くつもりはない。姫君の部屋から現れる包帯男を迎え撃ち、中に姫君がいるのならなんとか逃げてもらおうと、そう考えていた。
 扉に向かい、ナイフと鍋の蓋を構えたまま、長い時間が過ぎていった。決められた刻限を知らせる鐘が鳴った。もうすぐだ。
 息を殺し、扉に相対していた私は、ふいに兎のことを思い出した。あんな風に小さな命を奪ってしまう人間なのだ。遠慮なんていらない。そう思い直したときだった。きい、ときしんだ音を立て、私の背後の扉が開いた。
「なっ……」
 背後からとは予想だにしておらず急いで振り返ると、こちらも驚いたのか、包帯男が私の存在を認め立ちつくしていた。
「ひ、姫様をどこにやったの! ロスヴィータ様を返して!!」
 先手必勝とばかりに私は持っていたナイフを闇雲に振り回した。狭い室内で包帯男がそれをよける。
「姫様が生きているなら返してほしいの! お兄様達が心配してるの……だから!!」
 包帯男は何も言ってはこない。私が振り回すナイフをよけているだけだ。そんなことを繰り返している内に、ナイフを持つ手を掴まれた。万事休すだ。
 私はそのとき初めて包帯男を真正面から見た。顔を覆う包帯は口元を完全に隠している。これでは口がきけないだろう。そして唯一覗いている瞳は片方だけだった。もう片方はやはり包帯に覆われている。そして、その片方の瞳を見て、私は愕然とした。狂気に満ちているはずのその瞳は、とても悲しそうに私を見下ろしていたのだ。
「……ロスヴィータ様を返して……」
 なんとか声を絞り出すと、包帯男は困惑したような表情を見せた。なぜ一介の世話係の娘がそこまで姫にこだわるのか理解できないようだ。でも私はそのとき生まれたわずかな隙を見逃さなかった。掴まれた右手が握るナイフを左で持ち直し、男に向けて突き刺した。
 肉に食い込む鈍い感触がナイフ越しに伝わった。咄嗟によけようとした包帯男の腕にナイフは突き刺さった。柄から手に伝わってくる生暖かい液体を感じ、私は初めて自分のしたことの重大さを知った心地だった。
「あ……」
 凶悪な犯罪者であろうとも同じ赤いものが流れているのだと、ようやく気付いた。包帯男は苦悶の声を漏らすこともなく、ただ悲しそうな瞳で私を見つめていた。急にこの男が怖くなくなった。初めから、私を殺す気などないというのだろうか。
「ご、ごめんなさい……」
 私が漏らした咄嗟の呟きに対して男は小さく手を動かした。『帰れ』──そう伝えたいのだとわかると、私は視界に入る赤から目をそらそうとその場から逃げ出した。

 手のひらには彼の血痕がべっとりとついたままだった。兎と同じ真っ赤な血。許し難いという気持ちと、悲しそうな瞳の奥に潜むその思いの存在に、私は戸惑っていた。
 孤塔の入り口まで来た時、もう一度頂上を振り仰いだ。彼は一体何者なのだろうか。どうしてここにいるのだろう。──姫君は無事なのだろうか。
 これからどうしていいのかわからなくなったそのときだった。森の方から小さな悲鳴が聞こえたのだった。
 こんなところに人が来るのだという驚きと、それがまだ幼い者の声だったことから私は声のした方へと向かった。
 茂みの隙間からそっと覗き込むと、少年が地面にうずくまっていた。その周りに二人分の人影。こちらに背中を向けているので人相まではわからない。
 少年は何かを懐に抱えているらしく、それでうずくまっているようだった。
「素直に渡せばいいのに」
 その声を聞くなり私はどきりとした。聞き覚えのある鼻にかかった甘い声。
「嫌です……」
 少年は苦しそうに声を絞り出していた。
「そんなに痛い目に遭いたいなんて変わった子だね。ねえ、兄上」
 傍にいる人物に同意を求める横顔が見えた。ああ、本当にラインヴァルト様とアンドレアス様だったんだ……。
 ラインヴァルト様は邪魔なものでもどけるように、少年の身体を蹴った。うめき声をあげなからも、少年は何かを必死に守っている。
「僕は今、医学を学んでいるんだ。兎を解剖して何が悪いの」
「この前もそう言って兎を連れて行ったじゃないですか……もう、充分でしょう?」
 もう一度少年の身体を横から蹴ると、少年の身体の端から綿雪のような毛皮が覗いた。
「一度で全て理解できない無能な王子で悪かったね。もっとも、君も大概だね。前も痛い目に遭ったのに、まだ懲りないなんて」
 そうして何度となく少年を蹴りつける。私はこれ以上黙って見ていることに耐えられなくなり、厳しい罰を受けることを覚悟で出て行こうと決意した。そのときだった。背後から立ち上がろうとした身体を抑えつけられた。何がなんだかわからず悲鳴を上げようとした私の口を、それを予想したように手でふさがれる。包帯だらけの手だった。
 必死で身体を抑えている人物を確かめようとすると、それはやはりあの包帯男だった。私を殺しにきたのだろうか。しかし彼は、私が覗き見ていたその先を今度は険しい瞳で見つめていた。
 少年とラインヴァルト王子は何度か問答を繰り返していたが、やがて力尽きた少年は兎をかばいきれなくなっていた。それをくすくすと笑いながら見ているラインヴァルト王子の横顔を見ていられず私は目をそらした。アンドレアス王子は兎の耳を掴んでは物のように持ち去った。そして辺りは静かになった。
 包帯男が私を解放するなり、私は彼に向けて怒鳴りつけた。
「意気地なし!」
 少年が守り抜こうと必死だったあの兎を助けることが出来なかった。包帯男が登場していれば、その異様さで恐れおののいて逃げてくれたはずなのに。
 しかし彼は私のその言葉にも全く動じなかった。ただ悲しそうに少年をみやっていた。
「あなた、大丈夫?」
 私は少年の元まで駆け寄ると、彼はかろうじて目を開けた。
「守れなかった……」
 ぼんやりと中空を見つめる瞳にみるみる滴があふれる。自分の無力を思い知るというのは、どうしてこうも辛いのだろう。
「ごめんね、助けてあげられなくて……」
「おねえちゃんは悪くないよ……」
 とぎれとぎれに呟くその言葉に私はますます胸が苦しくなる。
「とにかく手当てしないと。あなた、名前は?」
「……エミール」
「エミール、しっかりするのよ、すぐ医務室に連れて行くからね。痛かったでしょ」
 エミールはまた顔をくしゃくしゃにして涙を流した。
「僕なんかより、兎の方がもっと痛いよ……もてあそばれて死んでいくんだ。もう、これで三羽めだ……」
 その言葉に私は引っかかった。
「……二日前にも、兎は連れて行かれた?」
「うん、あれで最後にするって言ってたのに……」
 じゃあ、あの兎は──。
 辺りを見回すと包帯男の姿は消えていた。一体彼は何をしにここへ現れたのだろうか。
「エミール、立てる? 肩を貸すから歩いていきましょう」
 なんとかエミールを立たせた時だった。
「あの人、誰……?」
 私が視線を向けた先に、いつ戻ったのか包帯男がこちらに向かって歩いてきていた。手には何かを抱えている。
 無言で差し出されたそれらの荷物は、包帯や薬だった。エミールにという仕草でそれを伝える。そして私にも何かを差し出した。
「これ……」
 いつもつけているブローチだった。確かめると服にはついていないから、落としたのだろう。孤塔でナイフを振り回していたときだろうか。もしそうだとしたら、彼があの場に居合わせたのは、私にこれを届けるため──?
「ありがとう……」
 彼は静かに首を横に振ると、孤塔へと戻っていった。
「怖そうだけど、いい人なんだね」
 エミールの呟きに私は同意した。
 彼は悪い人間ではない──兎を殺したのも彼ではないとわかった今、私に彼を恐れる理由はもうなかった。
 

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