孤塔の姫君

 あんな出来事があってからというもの、私は何もかもが信じられないような気持ちでいっぱいだった。憧れの王子様達の残虐な振る舞い。恐ろしいと思っていた包帯男の悲しそうな瞳と優しさ。一体何が真実なのだろう。その一件は見かけだけで判断は出来ないのだと私に教えてくれた。
 あの後も、孤塔に食事を運びにいったけど、もう包帯男に会うことはなかった。血で汚れた続きの間は綺麗に磨かれており、私はつくづく申し訳ないと思った。私はもう姫様宛てではなく、包帯男に宛てて手紙を書くことにした。これまでのお詫び、そして姫様はそこにいるのか、何か必要な物があれば届けたい、そしてあなたのことを誰にも言うつもりはないという主旨を綴った。しかし例によって返事はなかった。
 私はせめてもの償いのつもりで、衣料品を届ける際に、清潔な包帯と薬を届けることにした。食事も今の分量では男の人では物足りないのではないかと思い、パンを余分に付けたりした。おせっかいなのだろうが、私に出来ることはそれぐらいしかなかったのだ。

 やはり姫君はあそこにいないのだ──。
 包帯男から返事がなかったことを根拠に私はそう考えるようになった。もし姫君がいるのなら、そう伝えればいい。けれどそうしないのは、姫君がそこにいないから。姫君がいないとなると、さすがに私が城の人間に伝えると思っているのかもしれない。
 姫君があの包帯男に殺されたのだと考えたくはなかった。けれどそれが一番しっくりくる。しかし姫を殺害したことで、包帯男の良心が痛み、そしてこれからの生き方を悔い改めたのだとしたら……あの悲しい瞳も納得が出来る。とにかく、いつ入れ替わったのか、何か手がかりはないか。私は城内で聞き込みを始めた。
「リーザはロスヴィータ姫に会われたことがある?」
「そりゃあるわよ。遠くから見ただけだけど」
「綺麗な方だった?」
「そりゃもちろん。目が覚めるように美しいってああいうのを言うのね」
 リーザは五年ほど前からお城で働いているらしく、ロスヴィータ姫のことも知っていた。
「姫様はどんな性格だった?」
「聡明で、奥ゆかしい方だったと思うわ。本を読んだりするのが好きだったみたい」
「ねえ、どうして姫様は離れの塔にこもってしまったの? 誰も止めなかったの?」
「またその話? 詳しくはわからないわよ。でも王様も王子様達も誰も止めなかったわ。姫様の気持ちを尊重したんでしょ」
「姫様の気持ちって?」
 私の何気ない問いに、リーザはしまったといった顔をした。
「いろいろあるでしょ。ほら、あんたもない? 一人になりたいときって。もうこの話は終わり!」
 リーザは寝台に潜り込むと逃げの体勢を作った。こうなるとお手上げだ。しかし少しだけ手がかりが得られた。やはり姫君は何かがあって、あそこに引きこもってしまったんだ。
 
 城内の書庫を閲覧するには許可が必要だった。私は姫君が書物好きだということを利用し、姫君が退屈だろうから本を渡したいと必死に訴え、何とか書庫に入ることを許された。
 書庫内はがらんとしていて、熱心に本を読むような人はいないようだった。
 私は姫様が読みそうな本を数冊選ぶと、城下で発行されている新聞が収められている場所へ行った。とりあえず二年前の記事を何枚か抜き取る。そしてそれをわからないように、本の間に挟み込んだ。
 書庫の管理人に軽く挨拶をして出て行く。急いで自室に戻り、二年前の記事を読んでいく。残念ながら姫君に関する記事は全くなかった。やはり外に漏らすような内容ではないのだろう。ただ、一つだけお城に関する記事があった。それは家畜小屋で小火があったというものだった。しかしそれが姫君のことと繋がるとは思えない。また今度行ったときに、新しい記事を持ち帰ってみよう。何かがわかるかもしれない。
 
「おねえちゃん!」
 城内を毎日うろうろしていたものだから、あの日出会ったエミールとも顔をあわせることが多かった。
「あら、エミール。傷はもういいの?」
「うん、ありがとう。それよりおねえちゃん、何か調べてるみたいだから。僕も手伝おうか?」
「まあ、ありがとう」
 ここ数日城内を歩き回っているせいか、よく噂をされている。既に私には悪魔が憑いているだの、頭がおかしくなったなどと言われているが、誰も姫様の世話役をやりたくないので、私を辞めさせようと言い出す者はいなかった。
「血まみれアルマだ……」
 ひそひそと囁く声が聞こえ、私は声がした方を振り返った。声の主はひっとうめき声をあげると、そそくさと姿を消した。
「ひどいこと言うよね……」
 エミールがむくれてそう言ってくれた。兎を埋葬した日と、包帯男を刺してしまった日は、確かに血にまみれていたのだが、不名誉なあだ名がついてしまったものだ。
「いいのよ、別に。それよりエミール。あなたはロスヴィータ様にお会いしたことがある?」
「ううん……僕は最近ここで働くようになったから……」
 小姓のエミールは、王族の一人に仕えているらしかった。
「ロスヴィータ様がどうして孤塔に閉じこもってしまったのか、それを知りたいのよ」
 もう既にいない姫君かもしれない。でも、だからこそ知りたいのだ。ロスヴィータ姫が何を思っていたのか。
「うん、わかった。何かあれば教えるね」
「よろしく頼むわ」
 私は私で包帯男のことを調べなくてはいけないのだ。
 
 そう思っていた矢先にそれは起こった。
 いつものように昼食を孤塔に運び入れようと、続きの間に入った。
「きゃっ!」
 私は思わず悲鳴を上げていた。続きの間には、包帯男が立っていたのだ。
「え、ええと……傷は大丈夫ですか?」
 彼は静かにその場に佇んだまま、大丈夫だという仕草を示した。やはり彼は悪い人ではない。
「何か私に御用ですか?」
 明らかに私を待っていたような彼の様子に、私はおずおずと訊ねてみる。すると彼は手にしていた何かを私に差し出した。それを受け取るため、昼食をテーブルの上に置く。手渡されたそれは手紙のようだった。
 急いで開けると、それは私宛に書かれたものだった。
『あなたに会いたい』
 たったそれだけ書かれたその手紙の差出人を見て驚いた。今まで何度か手紙をくれた筆跡で書かれたその名前は、ロスヴィータ姫のものだったのだ。
 
「ひ、姫様が私に? いえ、それより姫様はその奥にいらっしゃるんですか!?」
 私は包帯男に詰め寄った。彼は静かにこくりと頷くと、奥の扉の方へ促した。
 この奥にロスヴィータ姫がいらっしゃる──。それは既に私の頭から消えていた考えだった。囚われているのなら、こんな手紙を包帯男が届けるはずもない。だとしたら、一体──。全ては扉の向こうに答がある。私は一度深呼吸をすると、包帯男の後に続いて姫君の部屋へと足を踏み入れた。
 そこは想像していたよりずっと広く、また生活感のある部屋だった。
 樫の木のテーブル。その上に置かれたティーセット。寝台へと続くのだろう部屋の奥はカーテンで仕切られていた。そのカーテンが揺れ、奥から姿を現したのは──。黄金色の巻き毛と翡翠の瞳を持つ噂に違わない美しい女性だった。
「ロスヴィータ様……?」
 そう呼びかけると、彼女は静かに微笑んだ。あまりにも儚いその笑顔に胸が締め付けられるようだった。
「初めましてアルマ。いつもありがとう……そしてごめんなさい」
 涼やかで美しい声。それは夢物語の中にいた私のお姫様像そのものだった。
「は、初めまして! 私こそいろいろと失礼致しました! 姫様がここにいらっしゃらないものだとばかり……」
 私の言葉に、姫君はゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、それは私が、あなたの質問に何も答えてあげられなかったから……」
 今まで私が送り続けていた手紙のことを言っているのだろう。
「まず、何から話せばいいのかしら……」
 思案顔で遠くを見るロスヴィータ姫。その傍には、包帯男がいた。
「あ、あの……この方は……?」
 私は包帯男を指し示す。彼に手紙を託したのだから、姫君にとっては信用できる存在なのだろう。しかし得体が知れない。
「ああ、まずはそこからね。彼はエアハルト。私の世話係の一人よ」
「え!? お世話係は私だけではないのですか……いえ、それより世話係なんですか?」
「あなたが驚くのは無理ないわ。でもそうなの。城の者もそれはわかっているから」
「でも、私にはそんなこと一言も……!」
 それが事実だとするとあんまりではないか。私だけ知らされていないなんて。
「私の世話係はすぐに辞めてしまうでしょう? 彼の見かけは、何も知らない人から見たらやっぱり怖いでしょうから……余計なことは言わないことにしているのだと思うわ。彼は必要最低限しか姿を現さないから、会わないと思ったのよ」
「そんな……」
 彼を──エアハルトさんを殺人鬼か重罪人だと思った上に、ナイフで傷つけた私は、とんだ勘違いもいいところだ。
「ごめんなさい!! 私、姫様はこの方に殺されたんだと勝手に思いこんでしまった上に、怪我までさせてしまいました!」
 ロスヴィータ姫とエアハルトさん両方に頭を下げる。私の推理は何一つ当たっていなかったのだ。
「そんな風に気負わないで。私も悪かったの。ちゃんと説明すれば良かったんだけど。きっとあなたはもう辞めてしまうと思っていたから……」
 確かに辞める機会は何度もあった。でも、私はどうしても逃げたくはなかったのだ。
「あなたが初めてよ。こんな風に手紙や贈り物をくれて、私を気遣ってくれたのは。だから、せめてあなたには真実を伝えたいと思ったの」
「ロスヴィータ様……」
 そうして彼女は自らの口から真実を語ったのだった。
 
「私がこの塔に籠もって姿を現さなくなったのは二年前。二年前に起こったことを話すわね」
 姫君は遠くを見るような目をして、そう切り出した。
「私には好きな人がいたの。彼は算術や文学を私に教えてくれる先生だった。私たちは愛し合ったわ。でも、兄様たちはそれを許さなかった」
 姫君の瞳に怒りとも悲しみともつかない光が揺れる。
「彼は殺されたの。ひっそりと残酷に。兄様たちからすれば、彼を殺すのは家畜を殺すのと同じ。心なんて痛まない」
 かける言葉が見つからなかった。何を言っても、それは過ぎ去った過去でしかなく、覆すことは出来ないのだから。
「彼の死は自殺と言うことで処理された。でも私は信じなかった。彼は自殺をするような人じゃなかったもの。全ては仕組まれたことだとわかっていた。もう、全てが信じられなくなったわ」
「そんな、ことが……」
 だからこそ、城の人間は何も語らなかったのだ。ひょっとすると皆自殺ではないと知っていたのかもしれない。けれどそんなことを言えば、ただではすまない。
「そこへ私の結婚話が持ち上がったの。相手は貴族の子息。けれど、そんな結婚したくなかった。彼の死をなかったことにして、私を嫁がせようとするその手口が許せなかった」
 強い光が瞳に宿る。それほど、好きな人だったんだ。
「私は誰とも結婚しないと宣言した。もし無理矢理させようとするなら自害すると。そんな不名誉な風聞が流れるのが嫌だったのでしょうね。私が一人でこの塔に籠もることをしぶしぶ許してくれたわ」
 それが、真実だったんだ。この孤塔と姫君に隠された。
「王子様たちは、ロスヴィータ様のことを案じていたようですが……」
「私がちゃんと生きているか確認しているだけよ。死んでいても、生きているかのように見せかけるでしょうけど」
「そんな……」
「いいの。私はこれで幸せなの。もう二度と城へ戻ることはないわ」
 きっぱりとした口調。ここでの生活が楽だとは思えないのに。
「そんなに、大切な方だったんですね」
 姫君は寂しそうに笑った。
「ええ。最後まで優しい人だったの……私は、生涯彼だけを愛し続けると決めたの」
 けれどそれは切なすぎる恋。この寂しい孤塔で二年間、姫君はただ一人だけを想い続けていたのだ──。
「姫様、私では姫様を慰めることなど出来ないかもしれません。けれどせめて、姫様の寂しさを紛らわせることぐらいなら出来るかもしれません。これからも、こうして話し相手としてお呼びくださいませ」
「ありがとう、アルマ。是非お願いするわ。それと……約束して欲しいの。私と会ったことは誰にも言わないでちょうだい。私は今までのように、そこにいるのかどうかもわからない気味の悪い姫でいたいの。だって、そんな人間と誰も結婚はおろか、関わりたいとは思わないでしょう?」
 姫君は自ら自分を気味の悪い姫として演出していたのだ。世話係が頻繁に変わることもそれの一助になっていたということだ。
「はい、必ずお約束します。本当の姫様は私の心の中だけに」
「ありがとう」
 そう笑いかけてくださったロスヴィータ姫の顔は、それは本当にお美しかった。

「本当に、いろいろとすみませんでした……」
 孤塔の階段を下りながら私はエアハルトさんに謝っていた。口が利けない彼は気にするなという仕草で私に応えてくれた。
 姫君の話だと、彼は一年ほど前に姫君の世話係として採用されたのだという。どう見ても怪しい姿だが、口も利けない分、姫君のことを他言しないだろうという周囲の思惑があったようだった。彼は働き者だったから良かったのだと姫君は言った。仕事も出来ないとなると、家族もいない彼は遠慮なく殺されていただろうと姫君は淡々と語っていた。
「エアハルトさんは、姫様に信頼されているんですね」
 そう声をかけると、彼は本当に嬉しそうな表情をする。目しか露わになっていないのだが、その目が実によく彼の気持ちを代弁してくれている。優しい鳶色の瞳だった。
 階段を下りきると私たちは別れた。孤塔の一階が彼の部屋になっていた。立ち入り禁止と書かれた部屋だ。彼はここに住んでいる。だからこそ、姫君に食事を運ばなかったとき、城の人間に伝わってしまったのだ。彼はそんな風に、城への伝達の役目も負っていた。
「それでは、また」
 小さく手を振ると、彼も手を振り返してくれた。なんとなく、ここが小さな家のように感じられた瞬間だった。
 
 それからほぼ毎日、私はロスヴィータ姫のお部屋を訪れた。それはほとんど昼食をお持ちする時と決まっていた。
 食器を洗ったりする水はどうやってまかなっているのだろうという私の疑問は、あっさりと解決した。エアハルトさんが毎日運んでいたそうだ。なんでもそこまで世話係の少女にさせると、重いものを運ぶというそれだけで音を上げてしまうからだそうだ。確かに孤塔の階段は長い。食事を運ぶだけでも大変なのに、重い水を運ぶのは少女には厳しすぎる仕事だろう。
 そしてシーツで溢れているのではないかと心配した点も、思わぬ形でその答を知ることになった。
 ある日私が部屋を訪れると、姫君は熱心に細長い布をまいていた。
「それ、包帯ですか?」
 私が訊ねると、ロスヴィータ様は微笑みながら頷いた。
「ええ。シーツから包帯を作るのが私の日課なの」
 細長い布は、シーツから作られたものだったのだ。姫君は今度は真新しいシーツを持ってくると、鋏を入れ、細長い布に切り分けていく。
「エアハルトさんの為ですか?」
「そうよ」
 あれだけ全身に巻き付けているのだから、かなりの量が必要だろう。しかし姫君が手ずから作ってくださるなんて、なんて羨ましい。
「城の者はね、彼にたまにしか包帯を支給してくれないの。でもこまめに替えないと傷にもよくないし……」
「私がつけた傷、そんなにひどかったんですね……」
 申し訳なさにうつむいてしまう。それなのに、彼はエミールのために大事な包帯と薬を分けてくれたんだ。本当にいい人だ。
「違うわ。あなたの傷はもう大分いいし、浅いものよ。彼はね、ひどい火傷を負っていて、そのせいで全身を包帯で覆っているの」
「火傷……」
 包帯で覆っているところが全て火傷しているなら、彼は死んでもおかしくない状態にあったことだろう。
「焼けただれた皮膚はもう元には戻らないわ。でもきちんと手当をし続けないと、もっと悪くなるのよ。城の者は何もわかってくれないけれど」
 本当にあの王子二人と血が繋がっているのだろうかと思うくらい優しい心遣い。
「初めてエアハルトさんを見たとき、怖くなかったですか?」
「……もちろん怖かったわ。それこそあなたが言うとおり、私を殺しに来たのだと思った。でも……毎日接していればわかるわ。彼がどれほど誠実な人か」
 姫君の優しい表情に、私まで嬉しくなる。エアハルトさんもそこまで信頼されてさぞ嬉しかろう。こんなに綺麗で優しいロスヴィータ様だもの、好きにならない方がおかしい。最愛の人だけを想い続けると言っていたけれど、姫様にもう一度恋の瞬間が訪れるといいな、なんて私は勝手に思っていた。
「エアハルトさんっていくつなんですか?」
「さあ、いくつだと思う?」
「見当もつきません」
 そう言うと姫様はくすくすと笑った。
「私もあまり彼自身のことを聞いていないから。あ、でも筆談で会話は出来るわ。一度聞いてみたら?」
「え……でも、あんまり根掘り葉掘り聞いたら嫌がられません?」
「まあ……言いたくないこともあるでしょうからね。……私が知っていることと言えば、彼が誠実で優しいことと、博学なことぐらいかしら」
「へえ……物知りなんですか」
「何か知りたいことがあったら聞いてみるといいわ」
「そうします」
 なんとか兎を守る知恵をいただけないものだろうかと、私は考えていた。

 私はまた書庫を訪れていた。私が持参した本をロスヴィータ様が喜んでくださったこともあって、私は頻繁にここに書物を借りに来ていた。既に管理人にも顔を覚えられ、すんなり通してくれるようになっていた。以前黙って失敬した新聞記事は元に戻し、私は姫様に届ける本数冊と、私が借りたい本を持って書庫を出た。
「あ、おねえちゃん!」
 運良くエミールに出会うことが出来たので、私は彼に頼みたかったことをようやく告げることが出来た。
「ね、エミール。お願いがあるの」
「うん、何でも言って」
 相変わらず素直な様子に頭をぐりぐり撫で回したくなる。
「お城の中に噂を流してほしいの。姫様が住んでる孤塔に近づくと良くないことが起こるって」
「うん、わかったけど……どうして?」
「ふふ、尊き恋を守るため! それと尊き命もね」
 エミールは不思議そうな顔をしていたが、それでも頷いてくれた。
「そうだ、それと……もしまた兎が危なくなりそうならすぐに知らせてね。今度は必ず守るから」
 

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